ひまわりの咲く方向

お題 「時間」 「黄色」 より

「うーん、そんなお店だったら僕も行ってみたいですね。続きましては、北海道の橋本さーん」
「はーい、橋本です。おはようございます〜。北海道、北斗市では少し早い季節ですが、ヒマワリが満開になっています。
ヒマワリは太陽の方向に向かって咲く花として有名ですが、このヒマワリはちょっと不思議なヒマワリとして知られています。
そんなヒマワリを見ようと、こんなにいっぱいの方々が畑にやってきていますー」
「いえーい!」
「父ちゃん見てるー?」
「ちょっと、私より前に出ないで下さいね〜」

いつもの朝、いつもの放送局のニュース番組を見ていると懐かしい言葉が聞こえてきた。
テレビ画面には、目にもまぶしい一面黄色のひまわり畑。そして、そこに咲くヒマワリを見る人々の嬉しそうな顔が映っていた。
「福沢さん、今日はこのヒマワリの栽培に成功した農家の方をお招きしています」
現地リポーターの放った言葉に、心臓を思い切り潰されるような痛みを覚える。
もし俺の顔がテレビに映っていたら、苦虫を噛み潰したような顔になっているに違いない。
胸に手を当てると、心臓が窮屈そうに鼓動を打っているのがよくわかった。
これはやばい、早くここから立ち去ろう。
俺は朝食のパンを手に持ったまま立ち上がり、ソファーに置いていた鞄を掴むと家を出ようとする。
「あら、どうしたの? 出る時間早くない?」
妻の真利子が怪訝な顔で俺を見ている。
「ちょっと、始業時間までにやらなきゃいけない仕事を思い出したんだ。今日はもう出るよ」
とってつけた嘘。ただただ一刻も早くこの場から離れたかった。
「それでは登場してもらいましょう、ヒマワリ農家の……」
「始業時間って……今日水曜日じゃ……」
現地リポーターの口、真利子の口、2つの口から次の言葉を聞く前に俺は背を向けて居間を跳び出していた。
玄関に着くと、靴べらも使わずに靴を履く。 が、いつもきつめに紐をしばっているから上手く履けない。
居間から真利子の何かに驚く声が聞こえる。
やめろ、聞きたくない。 聞きたくない! 聞きたくないんだ。
靴のかかとを踏みつけたままだが、俺は力強く地面を蹴って玄関を後にした。
マンションの階段を転げ落ちるように下り、バス停に向かう。
次の交差点を左に曲がれば、バス停だ。 
片手でネクタイを直しながら、念のため後ろを振り返る。
真利子は……いない。 よかった、追いかけて来ていない様だ。
以前、夫婦喧嘩をした時に「こいつ、スプリンターか!?」と思うくらいのスピードで追いかけられた時は、そりゃあ怖かったものだ。
なんてことを思っていたのが運のツキだった。
前を振り向くと同時に、人影が視界に入る。
曲がる先から現れたのか? そんなことを考える暇も無く、俺はその人影と衝突してしまった。
しっかり靴を履いていなかったせいだろうか、逆に弾き飛ばされて青空を仰ぐような形で俺は倒れる。
自分の後頭部が地面に当たる鈍い音と同時に、ゆっくりと意識が黒い闇に飲まれていくのがわかった。
ああ、ついてないな……。
閉じていく視界の中でかすかに見えたのは、女性が俺に駆け寄る姿と、その手に抱えられたひまわりの花たちだった。


ゆっくりと意識が回復してくる。 目の前には、青い空とその海で遊ぶ白い雲たちが映っていた。
そうか……確か、俺は誰かとぶつかって倒れたんだっけ。
呼吸を繰り返して、ゆっくりと自分を落ち着かせる。
打ちつけた頭の痛みは……と、頭に意識を集中したところで俺は違和感を覚えた。
温かい?
体全体が温かいものに寝かされていると言えばいいのだろうか。
手を動かすと、何か柔らかいものが手にあたりほぐれた。
俺は……この感触を知っている。
その時だった。
「隆志、そんなところで寝ちょらんでこっち手伝ってちょうだい」
聞こえてきた声に俺は耳を疑った。
体を急いで起こすと、目の前に信じられない風景が広がっていた。
辺り一面に広がる茶色は、耕された畑。 そして、視線の先には懐かしい人物がいた。
「母ちゃん」
俺は無意識にその人の名前を発していた。
「起きたんなら早く手伝ってちょうだい、今日の夕方までには蒔き終わりたいんよ」
母ちゃんは手に抱えた米ざるから種をすくってはパラパラと地面に蒔いていく。
宙に舞った種は、等間隔で地面に着地する。
長年磨いてきた母ちゃんの技術の賜物だ。
……って、俺は何をこの状況になじんでいるんだ。
立ち上がり、髪やスーツについた泥を軽く払う。 俺はゆっくりと母ちゃんに近づいた。
日よけの布がついた麦藁帽子、そしてそこから見えるシワだらけの顔。
何度も洗濯をしてごわごわになった木綿の服とズボン、泥がこびりついた黒い長靴。 
間違いなく俺が知っている母ちゃんだ。
「何やってるんだよ、母ちゃん」
「何って、ヒマワリの種さ蒔いてるに決まっちょる」
俺の方を見向きもせずに、種を蒔き続ける母ちゃん。
無愛想な言い方は昔のままだった。
母ちゃんは無言で種を蒔きながら、時々腰を叩いては空を見上げ、また種を蒔く作業を繰り返していた。
子供の頃、俺がよく見ていた姿そのままだ。
「隆志、東京じゃ上手くやっちょるの?」
母ちゃんが不意に放ったその一言に俺は何も言い返せなかった。
「『農家なんて儲からない、だから俺は東京に行って働くんだ』って言ったのは隆志だろ。 なんだい、何も言い返せないってことは結局口だけだったのかい」
少しばかり母ちゃんの言葉に元気がなかった。
8年前、農家を継ぐのが嫌だった俺は両親と大喧嘩の末に実家を飛び出した。
東京についてから最初の3年は酷いものだった。
仕事が見つかったのはいいが、働いてる工場が閉鎖になったり、人間関係が上手くいかず辞めたり、金庫泥棒の容疑をかけられたり、発注ミスをしたり……etc
色々な理由で会社を転々としてきた。
だけど、4年目に就職した今の会社でやっと落ち着いた。
真利子ともその仕事がきっかけで知り合って、交際2年、上京暦6年目で結婚した。
そして上京暦7年目、全てが一歩づつ前に進み始めたその時にその知らせは届いた。
「ハハシス、シキュウモドレ」
父ちゃんから来た初めての連絡は母ちゃんの死の知らせだった。
だけど、俺は戻らなかった。
あれだけ大見栄きって実家から出てきた自分。 連絡もしないで、その間父ちゃんと母ちゃんはどんな気持ちでいたんだろう。
そう考えると戻るのが怖かった。
届いた電報を真利子に見られないように破り捨て、そのまま1年が経っていた。
「母ちゃん……ごめん」
目の奥が熱い、視界が狭まる。 堪えていた涙が溢れてくる。
「俺母ちゃんに会わす顔がねえよ。 ずっと連絡も取らずにいて……」
それまでずっと種を蒔いていた母ちゃんが止まり、こっちを見た。
呆れたといった表情でこっちを見ている。
「バカだねぇ、私はそんなこと気にしちゃいないよ」
「でも……俺」
「泣いちょ、隆志。 男の子だろ。 あんたが戻りたいと決心した時でいい、母ちゃんは待っちょるからね」
母ちゃんがそのシワだらけの手で俺の涙を拭う。
それと同時に今まで母ちゃんが蒔いていたヒマワリの種たちが光出し、あっという間に育っていく。
俺や母ちゃんの腰辺りまで伸びたところで、ヒマワリたちは大きな花をつけた。
黄色に光り輝き、風に揺れる数千のヒマワリたち。
母ちゃんが微笑みながら俺を見つめる。
「大丈夫、隆志は私の自慢の息子だよ」
ヒマワリたちがその言葉に反応するように光り輝く。
「母ちゃん」
黄金の光が俺や母ちゃんを包み込んでいく。 その温かい光のゆりかごの中で、俺はゆっくりと目を閉じた。


「おーい、大丈夫ですか?」
気が付くと、女性が俺を覗き込んでいた。
体を起こそうとすると後頭部に鈍い痛みが走る。 
「しばらく動かなかったんで、死んじゃったのかと思いましたよ、フフフ」
イタズラっぽく笑う女性に手を貸してもらいながら俺は立ち上がる。
痛みは大したことないが、スーツが少し破れている。 これは一度家に帰らなきゃダメかな。
「すいませんでした、こちらこそ前を見ていなくて……」
そう言いかけたところで、女性の脇に置いてある花に目が止まった。
ヒマワリだ。
しかも、この濃い黄色と小ぶりな背丈……俺が夢で見たヒマワリと一緒なんじゃないだろうか。
「ああ、このヒマワリですか? 今日入荷したばかりの子なんですよ」
女性の姿をよくよく見れば、花屋さんらしきエプロン姿だ。 だとしたら、俺は品物を傷つけてしまったんじゃないか?
「すいません、花は大丈夫ですか? さっきの衝突で傷んでしまったようなら全部買い取ります」
「んー、そうですねぇ」
女性は少し考えた後、ヒマワリの束を俺に差し出した。
「お金はいらないので、よければこの子たちをもらってあげて下さい」
「いや、でもそれは申し訳ないですよ」
俺は財布を取り出すが、女性はそれを制止した。
「この子たちが、あなたと一緒にいたいと言ってるのでいいんです。 ちゃんと花瓶にさして飾ってもらえれば嬉しいです」
あれ、俺なんかやばい人とぶつかってしまったんだろうか……と思っていると、女性がそのまま続ける。
「そうそう、このヒマワリちょっと不思議な子でしてね。 どう育てても南を向いて花を咲かせるそうなんですよ。 まるで誰かのいる方向を向いているみたいに」
女性からヒマワリを受け取る。 手にすると伝わる懐かしさに俺の目からは涙が止まらなかった。
「この……ヒマワリの名前はなんて言うんですか?」
女性がゆっくりと口を開く。
「大好きな息子さんの名前をもらって『タカシ』っていう名前だそうですよ」





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